【奈良選手への誹謗中傷に考える】
これは、いいわけでも、ことを起こした人間への擁護でもないことは前置きしておきたい。
SNSによる暴力はスマートフォンが浸透した現代ならではの問題だが、誹謗中傷の書き込みが”暴力”であることを改めて認識する必要はあるし、このような暴力をふるうというのはあってはならない。
このような事故を起こしたことについては同じマリノスのサポーターとしても問題を感じるし、どんなに感情的になったとしても理性をもって抑えるというのが人間であり、暴走してしまったのは残念である。
選手の試合中の怪我によって、これほどのことをマリノスサポーターが起こしてしまうことは今まで記憶になく、事態の重さを感じずにいられない。
何故、西村選手への奈良選手のプレイに限ってこれほどの反響があったのか?
かくいう小生自身も本件については、憤りを感じるし悔しくて仕方がないし、宮市が怪我をしたときの残念な気持ちとは明らかに違う。
奈良選手の西村選手への行為は故意ではないことは分かっている。
単純に奈良選手が下手で遅かったが故のアフターだ。
それを前提に自分の中でこの気持ちを整理するとこの憤りの理由は
ー優勝を狙って戦っている中でその主力選手を傷つけられた感情。
ー明らかにファウルであったにもかかわらず、審判団は警告を出さなかった。
という二点に絞ることはできない。
恐らく上記のみであれば、小生もこれほどの悔しさを感じなかっただろう。
問題はその後だ。
福岡の選手はその後もアフター気味のプレイを繰り返し、ラフプレーを続けているにもかかわらず、審判団は注意を促すことが無かったことが徐々に苛立ちに変わっていく。
度重なる福岡の選手のラフプレーに審判団は笛を吹くのみで、コミュニケーションを取ろうとしないのだ。
ファウルの度ににゴール裏から不満のどよめきあがり、それが徐々に大きくなっていくにもかかわらず、杓子定規なジャッジメントに見える審判団への不満が大きくなっていく。
この何一つ改善されないプレイとジャッジメントが90分続いた末、勝利はしたが、どこかもやもやとしたものが胸につかえていた。
人間は防衛意識が働く、要するに改善が期待できず今後も何度も同じ惨事がおこることを予測した時、そこに違和感を感じそれを許さない意識が生まれるという事象だ。
悔しさをかみしめながら、神妙にインタビューに応えるケヴィン・マスコット監督の表情は更に、サポーターの気持ちに拍車をかけた。
そもそも、ケビンマスカット監督の姿勢は常に紳士で温厚で丁寧であることは、選手・記者団・サポーターみんなが認めており、勝っても負けても監督はにこやかに、そして冷静にインタビューに応えてきた。
そんなケヴィンマスカット監督でさえ、今節はおさえきれず顔に出てしまうということに見ているサポーターの中には共感を持ち、自分がスタンドで見えたものは間違ってないと思った人間も少なからずいたに違いない。(小生もその一人だった。)
誹謗中傷をしたサポーターはこれらすべての違和感と苛立ちが積もり積もったのだろうと思うが、それをあまりにも間違った形で行動に出したということだろう。
誹謗中傷は、暴力だ。
ましてやスポーツを観戦する立場の人間はやってはいけない。
これは大いに反省しなければならず、マリノスのファン・サポーターが無くしていかねばならない。
前回対戦で、アンデルソンロペスが退場になったこともあったのだろうが、この試合が荒れることなく無事に終了したのは、マリノスの選手たちの、極めて高い理性とスポーツマン精神に支えられた結果であり、今節の審判団はこの点についてリスペクトしなくてはいけないし、誹謗中傷をしたファンサポーターは、そんな選手たちの行動をぶち壊したことに猛省をして欲しい。
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